酒饅頭、水ようかん、水まんじゅう、水ようかん、せんべい、どらやき、和菓子、にしさか

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越前三国名物、酒饅頭の歴史。

越前三国名物、酒饅頭の始まりは、江戸時代、三国湊が北前船の寄港地として日本海交易の重要な拠点となっていた頃です。沖縄より大阪を経由して砂糖などの積み荷を運んで来た北前船の船頭たちが、三国湊に何日も停泊していた時に、地元の人達に酒万寿の製法を教えたそうです。米麹と餅米を使い、甘酒を自然発酵させて作る酒万寿の風味は、当時の人達には、それは”ほっぺたがとんでいく”ほど、大変美味しかったらしく、たちまち評判になり、三国に数軒の「酒万寿や」が誕生しました。

当時の三国湊は廻船問屋がズラリと軒を並べ、千石船や大小の和船の出入りで賑わい豪商と言われる商人が沢山いました。古くから「酒を呑めば笑い栄える」と言われ、その酒を利用して作る酒万寿は、豪商達にとっておめでたい縁起の良いものと重宝がられ、結婚式や建前など、お祝い事によく使われました。特に結婚式では、豪商に嫁ぐ花嫁さんを人目見ようと集まった人達に、二階より蒔いて振る舞いました。当時栄華を極めた豪商たちのこと、その数は五千個とも一万個とも言われ、その光景は派手で豪華で、まさしくそのまま豪商達の勢いを表していたのかもしれません。

現在、酒万寿は、表面に各店独自の焼き印を押して販売していますが、そのような形になったのは、京福三国芦原線の開通した昭和初期の頃です。

三国には、北陸三大祭りの一つに数えられる「三国祭」や、海水浴場(サンセットビーチ)、東尋坊などの観光地もあり、娯楽の少なかった当時の人達は、電車を利用して、ぞろぞろと三国へ遊びに来ました。その人達に、お土産として各店が競って酒万寿を売り、焼くことによってさらに香ばしくなった酒万寿は、大変な人気を得て、三国名物となっていきました。

焼き印の字は、各店によって、創業者の一字を付けたり、屋号の一字をつけたりしています。焼印の字によって、どの店の酒万寿かを区別しています。

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